2013.08.02(金) 『 昭和二十四年 夏 稚内の基督者が参集した 』

東京、国分寺南教会牧師・深山佑(みやま たすく)先生が来稚。深山先生のお父さま、佐太郎先生(当時の、美深教会牧師)が、昭和二十年代前半、稚内教会の創設の頃に開拓伝道を祈りをもって始められました。
東京、国分寺南教会牧師・深山佑(みやま たすく)先生が来稚。深山先生のお父さま、佐太郎先生(当時の、美深教会牧師)が、昭和二十年代前半、稚内教会の創設の頃に開拓伝道を祈りをもって始められました。


今号は漢字が多いです。忍耐が要りますのでご注意くださいね(^^♪)

 

以下、写真の優しい表情のおじさま=深山佑(みやま たすく)牧師のことをご紹介いたしますが、まずは、64年前の一枚の〈わら半紙〉に記録されていたものをご紹介します。しばらくお目通し下さいませ。

 

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【 傳道所設立申請書 】

所在地 北海道稚内市山下通4丁目(○○直孝方)
名 称 日本基督教團稚内傳道所

右傳道所設立至度存じますから 御承認下され度 同志信徒署名並びに関係書類相添え此段申請致します。

 

昭和二十四年十月三十一日
北海道中川郡美深町大字通北一丁目十三番地
日本基督教團正教師 深山 佐太郎

日本基督教團 総会議長 小﨑道雄 殿

 

追伸
 本傳道所のための一定の集会場所を、稚内市山下通四丁目(○○直孝氏宅裏側)に與えられ、本十月より諸集会をその処にて開くに至りました。差し当たり、右の借用家屋に於いてこの後集会を開催して進む方針でありますが、出来る限り早く、主ゆるし給わば、新築会堂を與えられて傳道の足場を堅くして、稚内の地に福音のためプロテスタントの教会を設立いたしたく切願いたして居ります。


なお現在明らかになって居る稚内市在住の新教所属の信徒数は二十名を超えて居ります。

 

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【 傳道所設立に至る経過の概要 】

昭和二十四年八月、北海教区内にて日本基督教団五カ年傳道賀川班の傳道が行われし際、北海教区の協力によりて講師賀川豊彦先生は稚内市に開拓的傳道を試みられた。その節賀川講師の発議によって稚内市に日本基督教団に属する主の教会設立の目的にて同志の署名を求めたるところ二十九名(その内信徒十二名)のものがそれに應じたのである。

 

右に関する協議には賀川、黒田(四郎)両講師のほか、北海教区常置委員伊藤馨牧師及び太平洋戦争終了前より稚内開拓傳道のことを企図しつつあった、日本基督教団美深教会牧師深山佐太郎氏が加わったのである。

 

この協議に於いて賀川講師より稚内開拓傳道のこの後の具体的方法として、深山佐太郎氏の毎月出張によりて定期的集会を行うことが提案せられ協議に興ったもの一同これを承認した。

 

これらのことは昭和二十四年八月十六日午後八時稚内市山下通四丁目○○直孝氏宅に開かれたる集会に於いて協議せられたのである。(中略)

 

一、申請に関する一切の手続については深山佐太郎教師に一任すること。
二、日本基督教団稚内傳道所の設立申請に賛意を有する同志の署名書を作成すること。附記。この決議によりて協議会の席上直ちに信徒十五名の者それぞれに署名を行う。
三、教師深山佐太郎氏が稚内市に出張する回数は毎月二回とし、第二木曜金曜の両日及び第四木曜金曜の両日(毎回二泊)とすること。
四、稚内傳道所の事務所を当分左の所に置くこと。

  稚内市山下通四丁目 ○○直孝方

 

以上、因みに右の協議会は議長深山佐太郎教師の外、別紙署名書に署名を行った十五名の稚内市在住の基督者が参集いたしたのである。

 

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実は、昭和14年生まれとお聞きした今回のブログ写真の深山佑(みやま たすく)先生は、上に引用した書類を記された、深山佐太郎先生(当時の、日本基督教団 美深(びふか)教会牧師)のご子息なのです。

 

半紙の記録を見て、「あー、これは父の字です」とすぐに仰いました。

 

深山佑先生は、現在、お父さまが開拓伝道された、東京・国分寺南教会で牧師として仕えておられます。また、昨年までは、亜細亜大学の教授として英語を教えておられました。さらに、長年いわゆる刑務所伝道に深く関わり、日本基督教団の教誨師(きょうかいし)の集いの責任者として現在もご奉仕されている方です。

 

大学の教授職を退官後、少し時間的な余裕ができたそうです。

 

日本キリスト教会・美深教会が現在無牧師ということもあり、夏の説教応援を頼まれて美深に来られ(稚内から車でぶっ飛ばして2時間です)、この度、稚内まで足を伸ばして下さいました。

 

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奇偶にも、深山先生は、わたくし(牧師のもりです)が日本聖書神学校で学んだ頃の英語の先生でした。「森 言一郎」という名前だけはハッキリ覚えておられたとのこと。約25年ぶりの再会でもありました。

 

上の申請書にあった、山下通四丁目の○○さんのお宅にも私たち二人でおじゃまし、ご挨拶することが出来ました。

 

深山佑先生は、お父さまの佐太郎先生に連れられて美深(びふか)からいつも稚内に来ていた、というわけではなかったそうですが、天国に居られるお父さまの足跡をたどりたいと願い、稚内教会を訪ねて下さったのです。

 

くしくも、神学校の教え子が稚内に暮らし、伝道・牧会をしていたということで、深山先生ご自身は、お父さまの稚内でのお働きを引き継いで居られないまでも、神学を教授した元・生徒に引き継がれていることをとても喜んで下さいました。温厚な深山佑牧師の表情や言葉の端々から、佐太郎先生のお人柄も想像できます。

 

それにしても、戦後間もない頃に、幾つかの教会で(おそらくサハリンも含め)で受洗し、稚内で暮らすようになっていたキリスト者たちが、賀川豊彦先生の大衆伝道を通して結集し、今の稚内教会に六〇数年を経て繋がっていることを考えるときに、神さまによる、計り知れないご計画を思う次第です。

 

深山祐先生。お父さまが102歳まで現役で牧会されたのを目標に元気にがんばりたい、そうお話ししておられました。あと30年あります。わたしも負けてはいられません(笑)end

 

 

 

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