2014.8.3(日) 『 お帰りなさい 「洋子さん・敬子さん」 ありがとう天国の「俊英さん!」 』

2014.8.3(日) 『 お帰りなさい 洋子さん・敬子さん ありがとう在天の俊英さん! 』
2014年8月3日・平和主日 礼拝前のひとこま。教会の玄関ホールにて。札幌からお出で下さった洋子さん(右)と敬子さん(左)親子。1965年・昭和44年頃から四年間、ご家族で稚内教会でお過ごしでした。真ん中は当時のことも良く覚えて居られる稚内教会の利恵さんです。

1965年(昭和40年)11月から4年間、稚内教会で信仰生活を送られたSさんご一家。そのS家の、洋子(ひろこ)さんと娘さんのN・敬子さんが、札幌から泊まりがけで稚内においでになり、礼拝にも出席して下さいました。

 

7年か、8年程前に、ご主人さまの俊英さんは召されたとのこと。

 

お二人は、札幌の日本キリスト教団月寒教会の会員さんですが、月寒教会の現在の牧師は、稚内教会に在籍時(かれこれ10年前位のはずです)献身された石垣弘毅先生という、不思議なご縁というかお導きもあります。

 

洋子さんが来会されたのは1969年(昭和44年)以来初めて、というわけではありませんが、「わたしたち、稚内とは何かとご縁があるのです」とお話し下さって、とても素敵な日曜日を過ごすことが出来ました。

 

この日の稚内入りの切っ掛け。

 

それは、お嬢さんの敬子さんの、ご次男が今春学校を出てから就職をされ、最初の任地が稚内市内ということだそうです。その頼もしき息子さんが元気にしている様子をみたい、という親心があったそうです。

 

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上の写真。

 

右側に座っているのが、お母さまの洋子さん、真ん中は稚内教会の利恵さん、そして、左側が敬子さんですが、実は、洋子さんが大切に抱えてこられたものがありました。

 

それは、『コンパクト 日本地図帳』でした。

 

稚内教会を探すため?

 

 いえいえ、そうではありません。さーて、それはなぜでしょう?

 

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洋子さん。

 

この日の朝、教会の玄関に入って直ぐ、わたし(牧師のもりでございます)の顔を見るなり、こう仰いました。

 

「森先生、初めまして。『信徒の友 6月号』の《神に呼ばれて》を読んでいて森先生が大分のご出身だと知りました。実は、わたくしの両親が大分県出身です。宇佐郡安心院町・・・・そして、子どもの頃半年ほどですが、わたくし大分で暮らしまして・・・・。わたくしの旧姓が《森》なんです。同じ《森》どうし。もしや、先祖は・・・・と思いまして」とご挨拶下さったのです。

 

ほんと、その可能性もあるかも知れないですね。世界は狭いですから。

 

広い北海道。大分ご出身の方がそうたくさん居られるようにも感じませんから、個人的には、とってもあたたかな気持ちになって礼拝を捧げることが出来ました。

 

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洋子さんとのお話の中で、既に天国に居られるご主人様のS・俊英さんが、『稚内教会創立30周年記念誌 1982年 』に投稿されていることを教えて下さいました。

 

日曜日の夜、楽しみに読んで見ましたら、わたし自身もとても勉強になりました。

 

俊英さんが記して下さった内用、ブログをご覧になっている皆さんにも、稚内教会の歴史の一端をご紹介できるすばらしい内容です。

 

そして、証しとしても、若さだけではない、お人柄が伝わって来るような、信仰生活の喜びが溢れる活き活きとした言葉でつづられていますので、少し長いですが、引用してご紹介しようと思います。

 

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『 求めよ、さらば与えられん』


                         (札幌)S・俊英

 

 私共家族は1965年(昭和40年)11月から4年間、稚内教会でお世話になりました。当時の礼拝堂は幼稚園ホールも兼ねていて天井が低く切妻の下屋を出した狭い教室での保育は大変な様子でした・・・・。

 

 1967年(昭和42年)春に一年間のアメリカ研修を終えた上野淳(きよし)牧師が帰国され、六月に豊富温泉で役員の一泊研修会を開いて、教会の抱えている問題点、これからの課題など将来に向けてビジョンが語られ、教会堂、園舎の建築についても討議されました。

 

 しかし土地の狭さが壁になってどうしても先に進みません。

 

 この年のクリスマス頃、当時現在地にあった緑ヶ丘学園が声問に移転することになって、建物150坪、土地510坪の売却を稚内市に斡旋依頼しているとの情報がもたらされ、早速検討いたしまして、牧師、役員四名で、浜森市長(奥さまの浜森千代さんは、稚内教会会員でした もり記)に面談し旧会堂の売却と、緑ヶ丘学園の購入価格斡旋及び助成金等もお願いして来ました。

 

 1968年(昭和43年)教会総会で買収が決定し、契約も終わり引き渡しまでにお金の工面です。教会債を無利子でお願いしたほか、役員の連帯保証で稚内信金から借入決済しました。

 

 内部改造工事の後、会員が交互で連日ときには夜の八時九時頃まで祭日も返上で、汚れ落とし、ペンキ塗りその他の奉仕が約半年続きました。

 

 資金不足のためバザーをしたり、グランド整地には市から火山レキをもらい受け、振動ローラーを会社の得意先から借りて運転するなど、苦労もたくさんありましたが、大きな喜びの中で力を合わせました。

 

 アメリカ軍のキャンプからペンキが大量に献品され、道北地区教会青年会の手でペンキ塗りの奉仕をして頂くなど外部からも助けられ、会員一同大いに励まされました。

 

 資金返済計画についても一部始終を理解し協力を頂くため、計画表を掲示板にはり出し最後まで献金が順調に献げられたことも大変感謝なことでした。

 

 この時期、建築計画に合わせるように幾組かのクリスチャンホームと信徒が稚内教会に転入し、一段落したところで再び道内に散らされたことは、神様の深いご配慮によるものかと不思議な気が致します。

 

 私共も1969年(昭和44年)11月旭川に転勤いたしました。

 

 教会ではこの時点で次の計画が進められ、幼稚園舎、牧師館に続いて1979年(昭和54年)の新会堂建築(現在の稚内教会の会堂のことです、もり記)へと前進されました。

 

 「求めよ、さらば与えられん」マタイ7章7節。祈りつつ求める時、必要を満たして下さる神のみわざを道北の地に見せて頂きました。信仰と希望をもって、更に前進されますようお祈り申し上げます。

 

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洋子さんと敬子さんの来稚は、月寒教会牧師のお連れ合いでこれまたかつて稚内教会の会員でいらした、伯江さんからの連絡で伺っておりました。

 

稚内教会が取り組んでいる「利尻昆布バザー」の応援団のお一人とのこと。『こんぶ通信』をいつも楽しみにしています、とお声掛けも下さいました。重ね重ね、本当に嬉しいことです。

 

洋子さん・敬子さんの来会の写真を、月寒教会の石垣牧師夫妻にお送りしましたら、「とても素敵な表情をされていますね」と伯江さんから応答がありました。

 

そうなんですねぇ。いつもとはまた少し違った空気の中で、リフレッシュされたのだとしたら、これも良かったなぁと、心から思います。

 

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洋子さん、敬子さん。

 

ぜひまた、稚内教会の礼拝にお出かけ下さいね。

 

そして、Blogをご覧になりながら、「わたしもいつか」とお思いの方。どうぞ、先延ばししないで、この夏でも、秋でも、お出かけ下さいませ。

 

教会員一同、楽しみにお待ちいたしておりますーす(^^♪)

 

 

 

◎下の写真はクリックして下さい! 2014年8月3日(日)夏を迎えた稚内教会・稚内の様子が分かる写真をupいたします(^^♪

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